赤岩城址
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赤岩城の位置
赤岩城は赤岩寺本堂の北側斜面上部にあります。愛宕神社の上です。案内図には林間広場と表示されており、赤岩城址の記載はありません。
駐車場からの道は主に三つ。赤岩寺鐘楼東横の道を進みます。すぐに大きな石碑があり分岐になっています。一つ目のルートはまっすぐに進み坂道の一番上まで登り、そこを左に進み、赤岩の名前の元となった巨岩の下を過ぎたところにある階段を上って行くことで城址に入れます。二つ目は最初の分岐を左に進み登り切った所の広場から右側の坂道に入り近藤寿市郎像の脇を通り過ぎ、下りから登りに差し掛かる辺りにある「林間広場」の案内に従って行くこともできます。三つめは大きな石碑のある分岐を左に進み、坂道の途中の右側にある階段を上って行くことでも城址に入れます。
赤岩城の概要 ※「愛知の山城ベスト50を歩く」(愛知中世城郭研究会)内の「赤岩城」(岩原剛著)より抜粋
赤岩城の築造主体は、文献記録が乏しく明らかではない。近世に書かれた『三河国古今城塁地理誌』によれば「赤岩 牧野新次郎 天文中、吉田城攻めの時逃落ち赤岩山法言寺に客たり。後年、戸田家養子となる。」とあるが、根拠となる出典は不明である。また、牧野新次郎についても、天文年間に牧野氏には新二郎を名乗った一系譜があり、さらに『吉田城主記』によれば、天文六年(1537)の戸田氏による吉田城攻めに際して、吉田城主であった牧野成敏の家人である「戸田新次郎」が戸田氏に加勢したとされる。
遺構の構造 ※「愛知の山城ベスト50を歩く」(愛知中世城郭研究会)内の「赤岩城」(岩原剛著)より抜粋
城の立地は、尾根の中腹にあり、山頂を中心に展開する事例が多い山城の中にあって、奇異な感覚を抱かせるものがある。遺構は尾根を断ち切る幅15メートル、深さ(土塁(どるい)上から)10メートルの大堀切(ほりきり)によって大きく区画され、大堀切の南側にある大型の土塁を挟んで曲輪(くるわ)I、曲輪Ⅱ、曲輪Ⅲが階段状に連続 している。曲輪Ⅲは尾根を大きく削平して平坦面を形成するが、側面に岩盤がところどころ露出するなど、造成 にはかなりの労力がさかれている。また、東側は愛宕神社を伴う巨岩上に伸びる形で、小規模な曲輪を配し、この曲輪は東側の通路遺構をとおって大堀切の堀底と連続 している。
曲輪Ⅲには、西側と南側にそれぞれ虎口(こぐち)が存在しているが、通路の折れなど技巧を凝らすことなく、素直に下へと続いている。このほか、虎口Aから曲輪Ⅱ・Iの西端を通って通路状遺構が大型土塁の頂部まで連なる。
大堀切の北側にも一カ所の平坦地があり、曲輪Ⅳとし たが、南側の曲輪群に比べて造作に乏しい。その北側には自然地形が続き、曲輪Ⅳの意図は見いだしにくい。
以上のように、赤岩城の構造は山城としてはやや奇異な特徴がある。無論、大堀切や土塁の存在は、ここが 城として利用されたことを実証するものではあるが、なんらかの遺構を利用して築かれた城ではないかとの疑念が生じる。ここで注意したいのは、本来は山岳寺院である赤岩寺の前身遺構が、いまだ背後の山中で発見されていないことである。東三河における初期の山岳寺院遺構には、尾根上の中腹を階段状に削平するものが多く確認されているので、赤岩城は赤岩寺の旧境内遺構を再利用し改造するかたちで設けられたものと考えたい。曲輪Ⅳなどは、旧状をほぼ留めるものだろう。
多くの山岳寺院は、時代の変化に対応すべく戦国時代から江戸時代にかけて、山上から山麓へと境内地を移している。あるいは天文年間になおこの地に山岳寺院として法言寺が機能しており、寺院の施設を多米地区の領主である戸田氏(牧野新次郎)が山城として使用したこともあったのではないだろうか。
<※用語の説明>
<土塁:敵の侵入を防ぐために土を盛って築いた堤防状の防壁
堀切:中世の山城や丘城において、尾根筋や舌状台地を深く掘り下げて敵の侵入路を断つ空堀(からぼり)の一種
曲輪:城の敷地内を土塁や石垣、堀、切岸(崖)などで区切った「平坦な区域」のこと
虎口:城郭や曲輪(くるわ)の出入り口のこと>
時代背景
赤岩城があったとされる16世紀半ばは、15世紀半ばから16世紀末までとされる戦国時代の真っただ中だったと思われます。因みに、三英傑の生まれ年は、織田信長が1534年、豊臣秀吉が1537年、徳川家康が1543年と言われています。赤岩城があったのは三英傑の幼年から青年時代の頃だったと思われます。
今川義元が当主を継承したのが1536年で、桶狭間の戦いで織田信長に敗れ亡くなったのが1560年です。武田信玄が家督を相続したのが1541年、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破ったのが1572年です。武田信玄はその翌年に亡くなっています。
赤岩城が作られたのは、三河に領土を広げようとする今川氏が地元勢力(戸田氏あるいは牧野氏)と対立する頃であり、赤岩城はその最前線にあったと考えられます。
レクリエーションの場としての魅力
赤岩城址には、豊橋市の巨木・名木百選に選ばれた山桜の巨木があります。春には数本ある山桜の花を楽しむことができます。モミジも多くあり、秋の紅葉は見事です。城址内には3カ所に丸テーブルとベンチが設置されています。
大堀切を通り抜けながら攻める側の気持ちになり、大型土塁に登り守る側の気分を感じた後は、赤岩寺仁王門を見通すことができる丸テーブルでのんびりお茶を飲むのもいいものです。たまに、楽器演奏を楽しむ人もいるようです。
